同志社大学男女共学実施
100年の軌跡
さらに次の100年へ
共学実施100年の歩み
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一粒の麦
同志社英学校の開校1875年11月29日、2人の教師と8人の生徒とともに、同志社英学校が開校した。設立時こそ小さな学校ではあったが、1876年に閉校した熊本洋学校から後に熊本バンドと呼ばれる生徒が陸続と入学してくると状況が一変する。1889年には約900名の生徒が在籍する学校となった。同志社創立者・新島襄は学校発展に伴い、さらなる充実をもとめ、大学設立の募金運動に奔走した。他方、英学校と同様に重視した学校がある。同志社女学校である。
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英学校開校から約1年後の1876年10月24日、英学校教員のJ. D. デイヴィス宅で女子塾が開設された。女子塾は翌年には同志社分校女紅場、同志社女学校と改称し、今出川に移る。この草創期に学んだ人物のうち、1878年のみ英語の学習が進んでいた3名の女子生徒が英学校で学ぶという経験をした。同志社で初めての男女共学の実施である。
地の塩 世の光を
同志社女学校の誕生
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女子学生のための高等教育を
同志社女学校専門学部開校専門学校令による同志社大学が開校する4か月前、その大学構想が理事会で議論されていた。その俎上に載せられたのは大学と大学女子部の設置案であった。議論の末、大学女子部の設置案は時期尚早と判断され廃案となる。これを受けて女学校では、大学女子部に相当する部門の設置を検討し始める。そもそも女学校は、その開設当初から、準備、教養、専門と段階別に教育を実践しており、専門学校令に対応する専門教育部門設置の準備はできていた。結果、大学の名称使用には至らなかったが、専門学校令に依った部門の設置を実現する。同志社女学校専門学部である。
創立者の宿志をかたちに
専門学校令による同志社大学の誕生新島襄が目指した大学設立は、新島の存命中には実現しなかった。新島の永眠後、大学設立のための募金は同志社政法学校に投じられる。政法学校は、神学校、ハリス理化学校と共に、専門を学ぶことができる場として機能してきたが、その3つの学校が最終的に1つの学校となる。それが、1912年4月に開校した専門学校令による同志社大学である。
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同志社に最高学府を
大学令による同志社大学の開校1920年4月、大学令により、帝国大学と同レベルの教育目的をもつ同志社大学が開校した。専門学校令よりも一歩進んで、専門教育と研究を目的とする最高学府の設置は、創立者をはじめとして多くの人々が実現を望んだ宿願であった。新たな高等教育の幕開けであり、新たな教育実践の端緒であった。
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女子学生に大学への
門戸を開放大学令による同志社大学が開校する2年前、政府の諮問機関である臨時教育会議が、女子教育への答申を提示し、東北帝国大学を前例として、大学への女子学生の進学の道筋を無くすべきではないとの見解を示した。このような政府の見解を前提として、大学令に依る私立大学は次々と女子学生・生徒への門戸開放を実践していく。その中でも同志社大学は、私立の旧制大学で最初に大学本科(のちに正科ともいう)に女子学生を受け入れた。
大正期末から昭和初期、日本をめぐる国際情勢は目まぐるしく変化し、日本は、日中戦争、アジア・太平洋戦争へと深くかかわっていく。他方、女子学生への門戸は拡大し、入学資格を付与される女子学生は徐々に増えていくが、入学者数が劇的に増えることはなかった。あくまで入学定員に対して予科(男子に限られる)からの進学者の欠員が、女子学生が進学できる枠の上限であったためである。
拡大する入学資格
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新制度のもとで男女共学の開始
終戦後、男女共学を明記した教育基本法のもと、1948年より新制度下で同志社大学が新たにスタートした。以降、復員した学生や朝鮮特需による景気の上昇により大学に進学する学生が著しく増加し、およそ10年後の1957年には学部の在学生数が13,082人と約7.6倍となった。しかしながら、その内実は男子学生約94%、女子学生約6%。教育の機会は相当に不均等な状態であった。
好景気に支えられた
大学の拡大の一方で高度経済長期に入ると、市民生活の向上が進学意欲を刺激して、学生数は増加していく。同志社創立100周年を迎えた1975年で学部の在学生数は20,080人と、1957年に比べて約1.5倍となった。そのうち男子学生約83%、女子学生は約17%。ただし、女子学生の増加率は4.4倍(781人→3,464人)と顕著な増加傾向を示していた。
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進学者数が急増する中、校地の狭隘化を改善し、新たな教育の可能性を模索するために新しい校地が開校した。田辺校地(現・京田辺校地)である。英学校が今出川に移転してから110年。新しい教育拠点となった京田辺校地は、バリアフリーを意識した同志社の校地整備のモデルとなっていく。このころの学部の学生総数は19061人と100周年のころに比べるとほぼ横ばい。男女比(8対2)もほぼ横ばい。
新たな地平に
田辺校地の開校 -
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自然科学系研究教育施設の拠点の完成
1994年工学部(理工学部)が田辺校地に統合移転し、田辺校地はその後続く理化学教育及び研究の一大拠点となった。このころから地元自治体や周辺住民への大学教育の還元が実施され、こうした活動はクローバー祭に代表される地域連携を呼び起こした。田辺校地は、地域連携の核となっていく。このころの学部の学生総数は21,104人とほぼ横ばい。男女比はおよそ7対3。
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教学体制の再構築
2004年に政策学部、法科大学院、経営大学院の開設を皮切りに、学部・研究科の増設・再編を行い、現在の14学部16研究科の体制となる。2013年には、従来の1、2年次生が京田辺キャンパスで学ぶという教学体制を転換し、今出川校地の再整備および学部ごとのキャンパス再編により、すべての学年が1~4年まで一つの校地で学ぶ体制を整える。2015年には学部の学生総数26,733人に対し、女子学生が10,943人となり、40%を超える。
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多様性への理解・浸透
ダイバーシティ推進宣言の制定2021年に建学の精神と歴史を踏まえ「ダイバーシティ推進宣言」を制定。男女共同参画に加え、ライフサポート、多文化共生・国際理解、障害者支援、SOGI理解・啓発を重点課題にし、学生・教職員のダイバーシティマインドの醸成やダイバーシティ推進の取り組みを本格化させる。
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2023年、大学本科に女子学生を受け入れて100周年を迎える。 先人たちの先見性や進取性を見直し、その節目として記念をするとともに、 ダイバーシティ推進に取り組む本学の未来を考えるきっかけとする。 2023年、学部の学生総数26166人に対し、女性学生が11368人で43.4%。
未来に向けて
男女共学実施100周年記念
さらなるダイバーシティ推進へ
次の100年に向けて、同志社大学ではダイバーシティを推進していきます。
同志社大学の取り組み
ダイバーシティ教育の更なる推進
2023年4月から全学共通教養教育科目にダイバーシティ科目である「同志社の良心とダイバーシティ」(秋学期・オンデマンド科目)を設置しました。多様な生き方と価値観を尊重し、他者の立場に立って考えることができる人物の育成を目指します。新設科目設置の趣旨や科目にかける思いなどについて、科目担当者が懇談を行いました。
詳しくはこちら女性研究者の活躍支援
本学における研究者のライフイベント及びワーク・ライフ・バランスに配慮した研究環境の改善・整備の一環として、出産・育児・介護により研究活動が中断した研究者が職場復帰を果たし、研究の停滞を取り戻すことを目的に、「研究者に対する復帰支援制度(同志社大学国内研究員)」を設けています。
詳しくはこちらわたしのサイエンスプロジェクト
わたしのサイエンスプロジェクトは、「理系ってどんなところか知りたい。」そんな女子中高生たちの理系進学を応援するプログラムです。 "物理の楽しさ"をキーワードに、科学の奥深さ、面白さを体感できるさまざまな実験体験やラボ見学、女性エンジニア・研究者との交流イベントなどを提供していきます。
詳しくはこちら私立大学のダイバーシティ推進モデルの提言
文部科学省令和3年度科学技術人材育成費補助事業「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(調査分析)」に選定され、本学を代表機関、上智大学を共同実施機関として「海外先進事例を通じた私立大学におけるダイバーシティ推進モデルのための調査研究」に取り組みました。私立大学の自主性と多様性を活かしたダイバーシティ推進の実践について発信しています。
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